火 22 Apr 2008
父は。
宮口氏が家業を引き継ぐのを目標に、高校生活を送るのには絶対反対だと言いました。
「公寿、ごめんな・・・」
宮口氏は父親があの時最後に言った一言は30年経った今でも忘れることはできないのです。
父親と話した翌日から宮口氏は無理やり気持ちを切り替えました。
あまりのショックで家を飛び出したいとも思いましたし、
未来への恐怖に押しつぶされそうになっていたからです。
完全に安泰だと思っていた就職先(家業)の道が閉ざされ
宮口氏に残された道は大学進学以外ありませんでした・・・
現代のように当時は高卒ですぐに高待遇な仕事に出会える時代ではありません。
誰がなんと言おうと「学歴」が世を支配していた時代です。
親が大手企業の経営者・医者などであれば、子がどんなに駄目人間でも社会に認められた
地位につける。
逆にどんなに才能があっても学歴がなければ社会のゴミ扱い。
今のようなベンチャー起業家という風習など全くない不条理な時代だったのです・・・
果てしなく険しい道のりに感じていました。
高校が私立のため友人の中には父親の社会的地位が高く、将来を約束された人も
何人かいましたが宮口氏は2~3年後続いているかどうかもわからない刀鍛冶屋の息子です。
その上、卒業後家業を継ぐと決めていたため、勉強なんてほとんどしてませんでしたし
どの大学のレベルが高いとか一流とかいう情報も一切わからなかったのです。
信じられないかもしれませんが、まず宮口氏は本屋に立ち寄り有名な大学を探すことから始めました。
結果、当時の段階で社会的にも認められ就職も安泰な大学は東京都内で3つ。
慶応・早稲田そして・・・東京大学でした・・・